2011年04月

今日も1日

充実したようなしてないような。。。。
部屋は少しずつ綺麗になってる。いい感じ。

今日は、圧力鍋も使った!!なんという時間短縮。ポリクリの味方ですね。
今日は筑前煮を。最初、味は微妙な気がしたけど、食べてくうちに美味しくなってきた。
明日は味がしみ込んでもっと美味しくなっていると期待。

けど、今日さんまも買っちゃったからあしたの夜はまた別の料理を挑戦してみます。

今日は14時から部活のことについて話し合いでしたね。部長さん・・・一人で頑張りすぎてないかい??
なんか、そんな気がした。私が手助けできることは・・・・・
自分の仕事をしっかりやり遂げることだな!!
そして、協力できることは、協力しよう。困ってると、なんだかこっちも悲しくなっちゃうし。

助けてくれる先輩、うちにもいっぱいいたから、
今度は私が、とびきりの笑顔と元気で、力になりたい。

まぁ、熱医研のために引っ越したようなもんだし。どうぞ。どうぞ。

夜は、2008年の年間報告書をひたすら作成。これ、一人でしかできないから手伝いは要らないんだけど、応援してほしい・・・・頑張れって。うんんんんんん。
彼氏さん気付いておくれ。でも、でも、文句言っていいのは私だけ!!笑!
もちろん!

なんとか、元気も取り戻し、前向きになれそう。
落ち込んでるところは人に見られたくないからね。というか、人前ではちゃんと明るくふるまってしまう。
けど、それは、嘘の自分ではなくて、本当の自分なのだから、しょうがない。

人前で明るくて、隠れて落ち込む(吐き出す?)のが、本当の私です。
結局そんなもんでしょう?

明日は〜
ガス代払って、年金払って、QB(小児科らへん)を買いに行こう!!
ゴミ出せるほど早起きできない気がするから、今のうちに出しに行こう・・・・かな。ゴミ捨て場遠い・・・・な。

昔のこと

500号で、かかりつけの先生の話を書いたけれど。小さい頃から医者になりたいって思っていたわけではない。
私は動物が大好きな子供だった。もちろん動物園も大好きで(今も)、行けば触れ合いコーナーに直行するか、ひたすら動物をスケッチしていた。(ホッキョクグマは会心の出来だった)
普段はというと、「どうぶつのーと」というものを肌身離さず、動物図鑑の動物を片っ端から写して、生息地とか、何科の動物か、とか書きまくった。あぁあのノート達は一体どこへいったのか。帰省するたびに古いほうの家の本棚達をあさるけど全然見つからない。見つけたら絶対お宝ボックスにしまいこむのに。。。
 そう私、保育園のころから、かなり読み書きしていたのです。これは、毎晩絵本とか、小説の読み聞かせをしてくれた父と、保育園入園前に祖母がひらがなの練習をさせてくれたからでしょう。(小学校1年のとき、ひらがなの授業が疑問で仕方がなかった「なんでひらがなを習うの!?」って)。だから、3~4歳のもも組の時もいつも友達に絵本を読み聞かせていた。と、保育園の文集の“先生からの便り”には書いてある。
 保育園の頃から、NHKの動物ドキュメンタリーや生き物地球紀行、動物奇想天外など、毎週毎週欠かさず見ていた。色々な動物を覚えて、テロップが出る前に「トムソンガゼルや!」「これはマウンテンガゼルや!」「シロオオイワヤギ!(コイツの絵も得意だった)」と早押しクイズみたいなことを一人でひたすらやっていた。今思うと、なかなかやる保育園児だったなぁと感心する。この頃はただひたすらにアフリカのサバンナに行きたかった。ジープに乗って大地を駆け回る大人になった自分を夢見ていた。とにかく動物学者になりたくて、保育園卒園式は卒園証書を掲げて「しょうらいのゆめは、どうぶつがくしゃになることですっ!!!」と、叫んだのが忘れられない。お陰で、6歳の誕生日プレゼントは、動物の生態ドキュメンタリービデオ10巻セットとかだった。。。。
 そんな感じで小学校でもしばらく動物学者と言っていたものの、「絶滅危惧種」という言葉が耳に入るようになってきた。アマゾン熱帯雨林伐採といった環境破壊とともに、動物たちの生存地域も減り、この世から消えて行った沢山の動物たち。日本でいうと動物が人里に下りてくるのも絶対人間のせいなのに、出た来たクマを銃殺…とか。このニュースは今もよくあるけど納得はいかない。この頃の愛読書はシートン動物記。オオカミ王ロボとか、会ってみたかった。この本は小学生の私を何回も泣かせた。。。こういった外国の動物記や動物番組に感化されてか、この頃の私はサバンナとか、アマゾンとか、完全に動物の宝庫といった海外に目を向けていた。さらにこの悲しい現実を知り始めてから、私は「動物の生態を知る」のは大事だけど、世界に出るなら、獣医師免許があった方がいいのではないか?と思い。将来の夢にプラスされた。これ以降は獣医師免許を持つ動物学者になるのを夢見て、やんちゃな小学校生活を送った。私、獣医師にはなりたかったけど、臨床医じゃないんですよね。。。さらに言うと、動物写真家にもなろうと思っていたわけで、動物図鑑とかも作ってみたかった…。小学校2年の時に学校で作った「おいたちの木」には、欲張りにも程があるくらい将来の夢が書いてある。現実的に(?)牧場経営とか、ペットショップ経営とかも書いてあるけど…全部動物に関することで、そこに「医師」という文字の欠片もなかった。
 そんな私が獣医師免許と医師免許…揺らぎだしたのはいつだったか。少なくとも、中1の時の塾の面談では獣医になると言っていた。。。。
 そういえば、この時私の耳に入りだしてきたのが「発展途上国」という言葉だった。北村家はドキュメンタリーをよく見る家で、というか、父とか母が学校の授業で使う教材をチェックするのを一緒に見ていた。だから、小中学校の時から、マザーテレサの話や、アウシュビッツの話とか在日韓国人、部落差別といった今の自分に繋がりそうな映像を沢山みてきた。この頃から、私は人に対して興味を持つようになってきていた。優等生を気取っていた自分に転機がやってきたのは中2の事ですが、これはまた別の機会に。。。
 こうやって、中学生の私は世の中の不公平について考えだした。日本に生まれてきて、教育が受けられて、将来の選択肢が沢山ある。なのに、「途上国」とは。。。まず生きて行くのも大変だし、、、そうか、みんな予防策を知らないからだ。なんとかして変えられないものか。試行錯誤の後、獣医師免許より、医師免許の方が人の役に立つのではないか?と思うようになってきた。そして、当時京都では女子が入れる進学校である、京都教育大附属高校に入学。ちなみに、この3年前附属中学入試に挑戦するも、くじ引きではずれ受験資格ももらえず・・・高校入試にてリベンジ成功。
 進学校に入ったものの、私は遊び呆けてしまった。高2の時にストリートミュージシャンにすっかりはまってしまい。駿台をさぼっては京都駅の路上ライブに入り浸った…。当時京都駅とか、天王寺とかで、路上ライブをしていた人達はほとんど顔見知りだった。私だって混じってギター持って歌ったりした。ジュースとか、差し入れしてくれる通行人の人も沢山いて、楽しくて仕方がなかった。
 おかげで成績は下がり、高1の頃は評定平均4.3以上で滋賀医科大学の推薦入試枠ももらえたはずなのに…。家庭科や書道といった副教科は5がとれるといった駄目パターンに落ちていった。自力で勉強するしかなくなった。
 でもさすが進学校。環境には恵まれ、勉強から遠ざかることはなかった。一学年200人、4年制高校ともいわれるが、結果的にうちの学年は30人は京大へ、また、ほかの30人は医学部へという狭い高校だったので、負けず嫌いの私は勉強しつくした。勉強に目覚めた高3は3時間睡眠を強行していたが、体調がさすがについていかず、4時間半睡眠に改めた。この頃顔色の悪さから「生きた屍」という不名誉なあだ名を頂いた。
 でも、華の高校生活はこんな話では終わらない。もう楽しくて仕方がなかった。高校生活。戻りたいとは確かに思う。今とは違う世界がそこにはあったから。
続きはまた今度。
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